私の履歴書vol.1

4度目の緊急事態宣言が発令決定しましたが、自宅で過ごす期間が増えたことで、皆さまの生活や習慣に変化はありましたか?

さて、現在社長業を務めさせて頂いておりますけれど、どのような事を経験して今の私があるのか?「私の履歴書」と題して(笑)、これまでを振返りつつ自由に書かせて頂ければと思います。
1971年、3人姉妹の次女として大阪市東淀川区に誕生しました。
両親は、ぜひ男の子を授かりたいと思っていたにも関わらず、3人とも女の子でした。
自宅は酒屋を営んでいたから、跡取りを欲しかったのかなぁとも思います。
2つ年上の姉がピアノを習っていて、私もやってみたいと言ったようで、5歳の時に近所のピアノの先生に教わるようになりました。
ピアノの先生が音大の学生だったときに教えてもらうことになったのですが、先生にとって初めての生徒が私だったそうです。
そのS先生曰く、ピアノを習いに来る子どもは、音大を目指していると勝手に思われたようで(後々聞いてびっくり!)、そのような理由もあったからなのか、何だかビシバシ教えてくださったのです。そのお蔭で上達したのかも知れません。
小さい時は音楽大学が存在するとも知らずにいましたけれど、小学校の高学年になる頃に、もしかしたら音大を希望するかもしれない、と先回りをしてくださり、大阪音大の講師をされていた先生をご紹介して頂き、今度はM先生にレッスンを見て頂き、その後に大阪音楽大学のピアノ科に進みました。
当時はピアノ科だけで1学年150名ほど在籍したのではないかと思います(もしかしたらもっと多かったのかも)。
私たちの年代は、ベビーブームで学生が溢れていて、とても賑やかな時代でした。
ピアノ科に次いで在籍者が多かったのは、声楽科です。
学生も先生方も皆が個性的で、思ったことをしっかり発言するそんな校風や友人たちに囲まれて4年間を過ごしました。
卒業後は、会社勤めとほど遠く、ピアノの先生をしていました(就職活動もせず)。
当時ピアノを習いに来ていたのは、就学前の小さなお子さんから中学生くらいまでが多く、なぜか男の子も多かったことに驚きました。サッカーも習うし、ピアノも習うって具合で、私の子ども時代とは随分違うなぁ、感覚が変わってきていると感じました。

ピアノを弾くと、聴いてる人がおっしゃることは「よく左右で違う動きが出来ますね」と。
楽器はほとんどが左右の手の動きが違うことをしますが、小さい時には何の抵抗もなく教わった事を教わったとおりに出来るものなのですよね。
これは、頭も身体も凝り固まっていないから柔軟に出来るのだろうと、最近思うのです。
なぜかと言いますと、大人になって始めたゴルフを現在、プロに教わっているのですが、これが本当に上手く出来なくて、しかもなかなか上達しない(笑)。
ゴルフのスイングをする時は、頭の中で沢山の注意事を浮かべます。まず、右に身体をずらさずにクラブを上げて(1つめ)、手首をぐらぐらさせず固定して(2つめ)、右足から体重移動させて左にのる(3つめ)…という風にクラブを上げて下ろしてボールを打つ、この短い数秒の間に実にたくさんの事を頭に描いて身体に指令を発しているのです。
ぜんぜん上達しないので、大人になってからの習い事っていうのは、子どもの頃とは大違いと、つくづく感じるこの頃です。
つまり頭で解釈して行動に移すというのが大きな違いですね。
一方で、ピアノを弾くという動作は続けていなければ、もの凄くニブくなってしまい、自分の指が借り物のような感触で鍵盤を掴んでいます。
このまま年を重ねたら指が固まってしまう確信があったのと、このコロナ禍で制限が多くて外出もままならず、何か自宅で出来ることをしようと思いたち、知人からピアノの先生を紹介して頂きました。
かるく十何年ぶりにピアノを習い始めました。
とても不思議な感覚になりながら、ショパンの練習曲とベートーヴェンのソナタを練習しています。
教えてくださる先生の指摘が的確で、その通りに弾こうと全神経を総動員する時間は何とも言えないものです。
この感覚をもし表現するなら、自分の細胞すべてを目覚めさせている!とでも言いましょうか。
ここまで読んでくださった皆さんに伝わっているか分かりませんが…。
さて、ピアノの先生だった私ですが、なぜ社長に?
次回につづく。

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